シェスタ倶楽部  大阪 
 
 
まもなく77歳というジジイになっております。この歳になるとたった3年の間に、「え あの方が・・」
と友人知人の姿が見られなくなった、そんな友人知人の笑っている顔や顔が増えてきております。オレ自身も、
「岡村の姿が 見られなくなった」そう言われる時まで、「絵を描き 自然を愛でていたいものだ 
絵と山だ」と生きていきます。とはいえ山もいつまでも登れないし・・。
 
 
おもしろい事を考えている。「宇宙って」問われたら手のひらに乗るカスミのような、
すぐにはじけて消えてしまう。人なんて、それこそ小さいそれこそ一瞬。オレ、どう生きた。
 
 
 
5月にも地元の茨木 “茨木市立川端文学館ギャラリー”で展覧会をしました。その時は今回よりちょっと
大きな絵“赤い絵の具”で描いた絵を並べました。今回の展覧会は“青い絵の具”で描いた絵を中心に
並べるぞと決めました。青色とはいえ緑色も含まれます、青と緑で見せます。
 
 
 明るい世界では、何もかもがさらけ出され、オレの内側に入ってくる。陽が沈み死の世界、闇の世界が始まと、
かすかに見えるもの、見えないもの、オレの想像やら妄想が、それらの存在を失くしてしまい、外に向いてしまう。
 
 
近畿の山もよし、信州の山もよし、山はいいですよ。ただ体力が無いとしんどいだけだ、
何時間も歩き続けられる体力があること、それに山は登ったら下りのことを考えないといけないね。
 
 
 花を こうまで上手く 飾れるかねえ
 
 
 絵具箱には、30色ぐらいの絵具が入っています。ひとつの絵を描きあげるのに使う絵の具は、
5.6色ぐらいかな、それだけあれば多すぎるぐらいだ。
 
 
 歩いていると前方に鹿の群れ、10頭ぐらい居たかな、オレに気づいて慌て左右に散った、
尻の白い毛がよく目につく。そうだ、今日は“熊よけ鈴”を付けていなかった。
 
 
絵具箱の赤色は5.6色もあるかな、主に使うのは “まっかっか”と“黒っぽい赤”の2色。
それに仕
上げでは、“まっかっか”の兄貴分と“黒っぽい赤”の姉貴分ぐらいかな。 
 
 
 チューブから出したままの絵具はねっとり、それをそのままキャンバスにひっつけると力強い画面ができる。
絵の具をしゃぶしゃぶに薄め、それをキャンバスに塗り込め、たらしこむと、水っぽい画面が生まれる。
 
 
 石が積まれたケルンの横、「国地院」と彫られた三角点で昼飯だ。弁当は昨夜、
玄米ごはんに手造りの梅干しを入れ、胡麻を振りかけた。おかずは野菜とベーコンと卵を炒めた。
 
 
 北向き斜面のこのあたり、5センチ10センチの雪が凍てつき、オットト、コラショ、
登りはひっくり返らなかったが、下りは凍った雪を踏みつけ、何度もすってんころりんだった。
 
 
青と緑、それぞれ3色ずつぐらいの絵具がある。長く絵を描いてりゃ、お気に入りの絵具がある。
そればかりを使って描いている。そいつらを使うと、キャンバスにピタリとひっつくからね。
 
 
 
 ウルトラマリン:群青色、この色を気にいってよく使う。この色はかのフェルメールが使った色、
ラピスラズリという宝石を砕き粉末にした、金より高い絵の具だったそうだ。
 
 
 青:日本人は緑色のものも青という。青りんご<green Appele>青信号<green lite>。古代の日本人には、
白・黒・青・赤の4色しかなかったとか。虹の七色を決めたのはニュートン(1600年代)らしい。
 
 
エンヤコラどっこいしょ。扉の無い避難小屋の中は零下6度だ。真っ白の雪、樹々の枝々に
雪がへばりついている。湯を沸かし、弁当を広げ、暖かいみそ汁を飲んだ。
 
 
 
おお、ギンリョウソウを見つけた。青白い白色、これを見ると幸運が来るぞと勝手に思っている。
腐生植物だそうで、ユーレイタケともいわれる。ほんとに幸運が来るといいね。
 
 
 
 若いころに下手くそながらデッサンンをやり、人並みに人体やら生物やら風景の絵も描いた、それがどんどん
抽象化していき、今やどこに形があるのか、どこが具象なんだ、と言われるような表現になってきた。
 
 
 喜びの雄叫び まもなく77歳

夜の河原、オレは街灯の下でストレッチをしていた。「えいやあ うええ どやや・・」なんて掛け声をかけて
体をくねらせていた。横をキツネがとぼとぼ近づいてきて、そのまま行き過ぎて行った。キツネにま違いない。

 
動画  video201123syesuta