14-014 雪かき 270214
今年も富山にやってきた、雪かきにやってきた。半月ほど前、WEBの定点カメラ、道路情報のサイトにある定点カメラで、国道301号線
を見ていたが雪が無い、所々、道路の両サイドに白い物が写っているぐらい。滋賀県から福井県に入る県境の峠道、例年なら道路の両
サイドから雪を解かす水がじゃぶじゃぶ噴出して雪国の道をひた走っているという感じがよくわかったが今年は全く雪が無い。北陸自
動車道の関西から金沢まで、道路は雪が無い「今年は雪が少ないのか」と目的の家に着いてみると家の前の道路は舗装が見えてそのまま
横に駐車できる「やはり少ないね、せっかく来たのに残念」と荷物を下した。ここに来るようになって4年になる。最初来たときは幹線
道路から家までの50メーターは除雪車が入っていたが車は上の空き地に停めた。玄関までは車に積んであったスコップで雪かきをした。
屋根から落ちた雪は高い処ではほとんど軒下まであった。二人で二日かけやっと1メートルぐらいまで下げて帰った。二度目はもう50
センチぐらい低かったがやはり雪国富山だったが、去年今年は関西とそうは変わらない有様だ。
この辺り「雪かき」というが、「雪捨て」という言葉の方があっている。地面に積もった雪をスコップで掬い取り、“ダンプ”という、
塵取りの大きいようなものに雪を乗せて捨てる作業ばかりだ。釉薬がかかった黒瓦の雪はつるりとすぐに落ちる、落ちた雪の上に雨が
降り、また新雪が降り、その上に屋根から雪が落ちてくるという繰り返しが12月、1月、2月と続く、時が経つと“フワリ”の雪も相当
に硬い、鉄のスコップを力いっぱい振り下ろしてもおいそれとは掬えない、差し込んでも少し雪の中にめり込むだけ。去年はアルミや
プラスチックのスコップを使っていたが、固まった雪、硬い雪は崩せない。その日の午前午後の時間によっても固さが違う、表面と少
し下ともう少ししたとではまた違う、そうこうやっているうちに要領がわかってくる。人それぞれだろうけれど「これが一番」という
方法で好きなようにやっている。屋根の軒下の雪が一番硬い、それを上からスコップで掬っても歯が立たない、廻りの軟らかい処から
スコップを差し入れ、又硬い処の下にスコップを差し入れ、軟らかい雪を掻き出し硬い雪庇をどんどん作りダンプで運ぶうちに、重さ
に耐えかねて雪庇が落ちる「やった、重い、どっこいしょ」と大きな塊をダンプに載せごろりと川へ落す。
「これだけ雪が少ないと、2時間3時間で終わるかな」と始めたが、固まった雪、硬い雪に阻まれなかなかはかどらない、到着した日の
3時間、翌日の5時間、そう簡単には許してくれない、たっぷりと汗をかいた。
天気予報では午前中は雨になっていたが、朝食後の少しの間、ほんのお湿り程度、後はどんより曇って、時には太陽らしき明るさもあ
り、せっせと雪が運べた。この辺りは全くの平らな土地ではなく、丘ぐらいの高低差がくねくね続く、山の中の谷筋ほどではないが、
窪んだ土地に立った家は日照時間は短い、景色も展望も効かない、湿気が多い、周りを見渡せば家や木や、山肌ならぬ丘肌が大半を占
め、青空大空は望めない、後から建てた者の悲哀かもしれない。日本海側に住む人たちが「弁当忘れても傘を忘れるな」というように
空も灰色、世界も灰色、所々の雪だけが白い。ニュースでやっていたが、中国大陸から汚染された空気、PM2.5というガスが押し寄せ
てきているらしい。4月5月の芽吹きの季節にやって来たいものだ、5月のGWの山帰り、水に満たされた田圃、田植えが終わった田圃
を上から見下ろすと美しい、農村地帯の原風景、水が光り、小さい稲穂が揺れ、風がそよぐ、嬉しくなる田園風景がずっと続く。とは
いえこの辺りも、日本の近代化の波が押し寄せ、町も道路も商店も“日本全国統一規格”の感、何処に行っても同じ家、同じ町、同じ
道路、同じ商店、これは本当に味気ない、情けないと思うのはオレだけかな。
襤褸君を持ってきた。雪の上に置いてみた、雪の白さだけではつまらない、空を入れる、水浸しの土と草を入れる、雪解け水の中に
黒い土と枯れた草、廻りは白い雪「いよぅ襤褸君」重い三脚を持ってきた。田圃と思われる処、あぜ道と思われる処、水の流れる傍
「はいチーズ」
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