FIGURE   B 
襤褸(らんる)君  里山  撮影:中西市蔵

中西カメラマン「俺の写真が無い・・」

カメラマンは撮る人だから、ないわなあ。

へたくそながら、彼の顔を撮るようにしている。


     
     

0006  Figure <襤褸>  011111 ブログ:えかきのぼやき より

オレ作、Figure 襤褸君のブログ初お披露目。このボロ人形、2,3年前から作りだした。今100体たらずがおられる。机、棚、天井と並ん
でいる様はまさにボロ。「なに!これ」「子どもが作った?」「こんなものを作ってどうするの」と、いろよい話はほとんどない。「す
ごいすごい、撮る」と言ってくれたのは写真家の中西プロだけ。

昨日近所の小学校に行った。近所の大人のボランティアが子どもと遊ぶという講座で、3年生の教室に。そこ教室の後ろの棚に襤褸君と
同じようなFigureが並んでいるではないか。段ボールの紙を切り、貼り、剥がし、こねる、とあらゆるテクニックを使って野菜、魚、
動物を作っている。大きさもオレの襤褸君と同じ。「わお~」と感激。担任の先生が「飾るのに何かいいアイデアは?」と聞かれて
「ふたのない箱を横にして、内側に彩色、その中に、たこやらニンジンを並べ、会話をさせて・・・」と考えているうちに、オレンチ
の襤褸君「言いたいことは?何を考えているの?」と思惑が広がっていく。襤褸君に会話をさせる、思いを叫ばせる。霞のかかった
オレンチの脳が少し揺れる。それこそ、みなさん、何かいいアイデアは?

     
 
13-083  晩秋の山Ⅱ  271113

山の朝は、霧(きり)というのか、雲というのか、霞(かすみ)というのか、山と山の間に白い靄(もや)がフワリフワリ、そのまた向こうにもフワリフワリ、大気は水気をたっぷり含んでいる。昨夜は寝袋に潜り込みジッパーを絞め酔いに身体を預け瞬く間に眠りに付いた。寝ている時にかなり激しく降る雨の音で目覚めたがすぐまた寝入ってしまった。普段なら考えられないような時間、9時頃に眠りに付き、目覚めて寝袋を畳んだ時間は朝の7時、これだけぐっすり眠れたら今日も快適、身体がぼんやりしなくて済む、夜中に何度も起きて小便の為に外に出ていく事を繰り返すと、翌日の身体はだるく動きも鈍い。山ではゆったり睡眠が大事、眠れないと本当に辛い、なんて若いころには想像もできなかった悩み、眠れないのは山だけでなくて、普段の日々も同じ事で5,6時間の睡眠時間で目が冴えてしまってもう眠れない時、なかなか寝付かれず時計を気にしながらモンモンとする時、何度も目が覚めてその都度少便に行きたくなって朝が来てしまった時、そういう時は良くないね、それこそ若い頃には考えられなかった。そういえば寝るのが下手な人生だった、酒を飲むようになってからは“バタンキュー‛は当たり前だったが、何時間も布団の上で時間を過ごしていた記憶が甦る、最近も酒を控えた日、明日は早く起きないといけない日にはこの記憶が甦るようになってきた、と余談はさて置き山の話へ。

ススキの穂あちこちに生い茂って上を向いている、向こうの山は黒っぽい緑で杉が植林された山、こちらの山は紅葉といってもほとんどが黄色い木々の集まり、霧のかかる山々は黒っぽい針葉樹林の山の方が幻想的な、水墨画的な、幽玄の世界を醸し出す、表現している。グレー色に見える木々の山肌が近くにあるほど黒っぽく見え、遠くに離れるほどに色が浅くなっていく、そのそれぞれの間に白い霧がフワリと懸りこれこそ中国や韓国や日本の風景、古典の絵に描かれた山水の世界とその美しさにはオレも文句なし、この辺りの峠は霧の名所、雲海の名所、写真愛好家がよく撮りに来るそうだ。 下に続く



     
 

何時ものように我が“襤褸くん”を取り出してあちこちに置いてみる。地面もたっぷり湿っている、切り株が積み上げられたその上も
水がたっぷり、長い間積み上げられたままに棄て置かれた太い切り株はまだまだ腐りはしないが色も黒ずみ水で光っている。その表面に
よく見ると菌糸のようなひょろりとした植物が無数に生えている、その細い糸のような先っぽにはオレンジ色の花なのか実なのかが一つ
一つに付いている。じっくり見るとこんな小さな世界にも生きものが生い茂り、生を謳歌している、伸びている、立っている、花をつけ
ている。襤褸くんをそこに置いてオレは悦にいっている。襤褸くんも見得を切っている。その向こうに木立、葉を落とした若々しい木立
も枝を力いっぱいに伸ばして、これまた見得を切っている。

何度もいうが木が素晴らしい、太い木、デカイ木、自然林の中でいろんな木が勝手放題に曲がりくねって、折れ曲がる、傾く、枝を伸
ばす、デッカイ幹に大きな穴が開いている奴、太い幹の半分が無くなっている奴、木と木がひっついて「一本の木なのか、それともひ
っついているだけなのか、どっちかね」と目を疑うような木、親なのか子なのか木の股の途中から木が出ている奴、いろんな木がいろ
んな不思議な造形を形作っている。洞には誰か居るのか相当奥まで穴が開いて、こちらからは見えない、リスかイタチかキツツキかそ
れとも熊か。蔦も絡まっている、半端な太さじゃない、オレの腕も負けそうな蔦が絡まっている。冬が近付きデカイ木の本体の葉がみ
んな落ちてしまった今、デカイ木の枝がたわわに張り出して空をも覆い隠す勢いで葉を茂らしていた、その葉が枯れて落ち葉となった
今、鬼の居ぬ間にではないけれど蔦の葉が青々と茂っている。今だ、覆い隠していた葉が落ちてしまった今が「我が世の春」とばかり
に繁茂している。実が落ちている、獣たちがセッセ啄ばみ食ったのか中味が無くなった実、中味の詰まった物も落ちている、獣たちの
世界は豊作なのだ、余っているのだ。風にでも吹かれたのか枝が折れて地面に転がっている。間もなく寿命が尽きそうな大木がある、
彼の幹は黒く汚く薄汚れあちらこちらにキノコが生え、根のあたりは緑色の苔がむし、枝が折れ、少ない葉も枯れ落ちている。

斜めから射す赤く暖かい陽の光に照らし出された木々が目に焼きついた山だった。

     

14-014 雪かき 270214

今年も富山にやってきた、雪かきにやってきた。半月ほど前、WEBの定点カメラ、道路情報のサイトにある定点カメラで、国道301号線
を見ていたが雪が無い、所々、道路の両サイドに白い物が写っているぐらい。滋賀県から福井県に入る県境の峠道、例年なら道路の両
サイドから雪を解かす水がじゃぶじゃぶ噴出して雪国の道をひた走っているという感じがよくわかったが今年は全く雪が無い。北陸自
動車道の関西から金沢まで、道路は雪が無い「今年は雪が少ないのか」と目的の家に着いてみると家の前の道路は舗装が見えてそのまま
横に駐車できる「やはり少ないね、せっかく来たのに残念」と荷物を下した。ここに来るようになって4年になる。最初来たときは幹線
道路から家までの50メーターは除雪車が入っていたが車は上の空き地に停めた。玄関までは車に積んであったスコップで雪かきをした。
屋根から落ちた雪は高い処ではほとんど軒下まであった。二人で二日かけやっと1メートルぐらいまで下げて帰った。二度目はもう50
センチぐらい低かったがやはり雪国富山だったが、去年今年は関西とそうは変わらない有様だ。

この辺り「雪かき」というが、「雪捨て」という言葉の方があっている。地面に積もった雪をスコップで掬い取り、“ダンプ”という、
塵取りの大きいようなものに雪を乗せて捨てる作業ばかりだ。釉薬がかかった黒瓦の雪はつるりとすぐに落ちる、落ちた雪の上に雨が
降り、また新雪が降り、その上に屋根から雪が落ちてくるという繰り返しが12月、1月、2月と続く、時が経つと“フワリ”の雪も相当
に硬い、鉄のスコップを力いっぱい振り下ろしてもおいそれとは掬えない、差し込んでも少し雪の中にめり込むだけ。去年はアルミや
プラスチックのスコップを使っていたが、固まった雪、硬い雪は崩せない。その日の午前午後の時間によっても固さが違う、表面と少
し下ともう少ししたとではまた違う、そうこうやっているうちに要領がわかってくる。人それぞれだろうけれど「これが一番」という
方法で好きなようにやっている。屋根の軒下の雪が一番硬い、それを上からスコップで掬っても歯が立たない、廻りの軟らかい処から
スコップを差し入れ、又硬い処の下にスコップを差し入れ、軟らかい雪を掻き出し硬い雪庇をどんどん作りダンプで運ぶうちに、重さ
に耐えかねて雪庇が落ちる「やった、重い、どっこいしょ」と大きな塊をダンプに載せごろりと川へ落す。

「これだけ雪が少ないと、2時間3時間で終わるかな」と始めたが、固まった雪、硬い雪に阻まれなかなかはかどらない、到着した日の
3時間、翌日の5時間、そう簡単には許してくれない、たっぷりと汗をかいた。

天気予報では午前中は雨になっていたが、朝食後の少しの間、ほんのお湿り程度、後はどんより曇って、時には太陽らしき明るさもあ
り、せっせと雪が運べた。この辺りは全くの平らな土地ではなく、丘ぐらいの高低差がくねくね続く、山の中の谷筋ほどではないが、
窪んだ土地に立った家は日照時間は短い、景色も展望も効かない、湿気が多い、周りを見渡せば家や木や、山肌ならぬ丘肌が大半を占
め、青空大空は望めない、後から建てた者の悲哀かもしれない。日本海側に住む人たちが「弁当忘れても傘を忘れるな」というように
空も灰色、世界も灰色、所々の雪だけが白い。ニュースでやっていたが、中国大陸から汚染された空気、PM2.5というガスが押し寄せ
てきているらしい。45月の芽吹きの季節にやって来たいものだ、5月のGWの山帰り、水に満たされた田圃、田植えが終わった田圃
を上から見下ろすと美しい、農村地帯の原風景、水が光り、小さい稲穂が揺れ、風がそよぐ、嬉しくなる田園風景がずっと続く。とは
いえこの辺りも、日本の近代化の波が押し寄せ、町も道路も商店も“日本全国統一規格”の感、何処に行っても同じ家、同じ町、同じ
道路、同じ商店、これは本当に味気ない、情けないと思うのはオレだけかな。

 襤褸君を持ってきた。雪の上に置いてみた、雪の白さだけではつまらない、空を入れる、水浸しの土と草を入れる、雪解け水の中に
黒い土と枯れた草、廻りは白い雪「いよぅ襤褸君」重い三脚を持ってきた。田圃と思われる処、あぜ道と思われる処、水の流れる傍
「はいチーズ」