山の話アレコレ  T
 
 
 
 
雨乞岳-鈴鹿山系 2006年 1月 7日・8日
なんと雪の多いこと。年末からの寒波で、雪の降りかたがすごいと、連日のニュース。
登山口の林道に入ったとたんに、もう足が雪にもぐる。2年前の1月末にもここに来た
が、スイスイとてっぺんまで登れた、人も来ていた。前と同じ場所で幕営。雪は降り
っぱなし、ひとっこ一人いない。食事はカス汁。寝袋の中は温かい。自宅よりも温か
いかな。朝起きて、さあ出発と歩き始めてびっくり。斜面の道が消えている。真っ白
い雪が斜面を崖下まで覆っている。ここを落ちたら「やばい」。くわばらくわばらで
撤退。不完全燃焼の山でした。


 
     

御池岳-鈴鹿山系  2006年 4月 1日  澤山・河瀬・岡村   
君ヶ畑奥、林道に車を停めて、よじ登り口  
立っているのは ボタンブチ という名の 崖の上 眼下に T字尾根 
あれを 登ってきた 4月というのに 昨夜の新雪が湿っている
快晴の予報が ずっと ハナグモリ 尾根に取り付いた時点で 
ええ!あそこまでは 登れないだろう と 遠くに見える
いやあ! 登れた登れた なんと がんばった 三人
6時間 歩きっぱなし 登山口に帰りついたら もう 
暗くなりかけ 久しぶりの 爽快登山だった 
 
      

 馬場島-富山県  2006年 5月5日        
<のっこし 乗越し> 一方の谷から反対側の谷に超える山稜の鞍部。峠。
まだまだ 積もった 雪が 谷の 前後左右 斜面に はりついている
そうだ きのう カモシカを 見た まだ若い彼 じっとこっちを 見ている
「オイ」 と 声をかけても じっとこっちを 見ている 
五月の 温かさから 巾20M ごうごう 流れる 雪融け水の 谷川
ところどころ 川が 雪の間に顔を出している 
まだまだ 厚く雪を かぶって その下 ごうごう 流れる 雪融け水の 谷川 
雪 かぶっている所 何度か 横切る 
ボソッと 抜けたら はいさよなら だあ〜
どぉ〜ん どでかい音 周りの崖から ブロック雪崩
ああ ここちよい 蒼い蒼い 空 
 
   
 

馬場島 より 大日岳手前  2007年 4月 30日
葡萄の 大きさの 雹
あれが バッチバッチ あたれば
頭の てっぺん 痛いだろうな
快晴 蒼天 雪の白
目が眩しく サングラス
見えてるのは 虚 の 実像 かな
向こう側の 斜面 熊 タユタユ とした 熊 草を 食む 熊
堂々 の 熊 彼 オレより づっと 原住民 だ
いただいた 車 初めて 長距離 往復 1000キロ はしったな
まだまだ雪山 快晴 雪 まっしろ くま 3匹 も いた
 
 
    

 人形山(富山 五箇山) 2007年 5月 19〜20日 澤山・猪熊・河瀬・岡村
朝 大阪出発 澤山・高田・岡村の3名 東京より 猪熊さん
雨飾温泉に着いたのが、夕方近い3時ころ。そこに澤山さんの車を置いて、
猪熊さんの車で、小谷温泉に。やむ様子もない雨のなか、小屋付近で幕営。
朝になっても雨。「雨の山行はいやだよ」という3人を残して6:30出発。
湿原の中、みずばしょうに、ひきがえる。2時間ほどで雨がやんできた。
えいやあ!えいやあ!と登っていく。9時ころに、登頂。
「雨飾温泉に12時ころには降りて来てよ」と仲間の言葉で、早々に下山。
またまた天気が鬱陶しくなりだしたと思ったら、雪渓が出てきた。
下りは登りと反対の日本海側へ、寒くまだまだ雪が残ってる。「むむ ヤベ〜」 
と思っても、引き返すわけにはいかない。トレースはほとんど無い、長い長い
トラロープが張ってある。緊張緊張で降りてきたところで、人の声。
いやあ、うれしいねえ。「やっほ〜やっほ〜」と声をかけると、
「おかむらさんかあ〜?」「おお〜」と仲間の皆さんと会えた。
皆さんも「もう降りる」というので 同道。雨飾温泉の小屋で 500円の温泉、
700円の手打ちそば。6時間ぐらいで、帰り着いた.
 
     

燧ケ岳(ひうち)田代山-尾瀬方面 2007年8月
今 安威川 河川敷にいる 尾瀬から帰ったばかりだ
日本で 一番きれいだ といわれる 尾瀬だ
デモ オレ イマ ドブ川に近かった 汚かった 安威川
陽の光が 斜めに 黄 と むらさき 草が 青に 緑の揺れる
水は臭うが 流れている 透けている

夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり
石楠花色に たそがれる はるかな尾瀬 遠い空
 
 
 

大峰奥駆道 2007年11月  澤山さんと
昔 修験者が 闊歩していた 弥仙 と 釈迦岳の間で
幕営して 一夜を過ごした 朝 さあ出発という 6時前
ようやく空が シラミ始めた 曲がりくねった 枯れ木に 雪が乗っている
車2台で行った 前鬼に1台車を止めた 行者還りトンネルまで もう1台で
この日は 11時間 行動で へろへろになって 前鬼から に降りて 帰った

 
 
 

 馬場島  2008年5月
今年の連休も富山湾立山ICより馬場島に行ってきた。ここは剱岳(つるぎ)
の登山口で知られる。厳しい山で、山での遭難者の慰霊碑がたくさんある。
今年は暖かく駐車場付近、雪がまったくなかった。一昨年は1Mぐらい、昨年
も20,30CMは残っていた。
一日目は早月尾根で1900ぐらいまで登った。
二日目は片貝から僧ガ岳。片貝の上流、東蔵(とうぞう)は、昔の里を思
わせるきれいな村、山は低いが、堂々と。富山湾がすぐそこで、もう一度
行きたいところ。
 
 

北の俣岳(北アルプス)  2008年 8月 12〜15日
図版は 北の俣岳直下 8匹の子連れ雷鳥
久しぶり北アルプス。いつもの新穂高温泉から少し行った、飛越トンネル
登山口。北の俣岳、太郎小屋、薬師澤、雲ノ平を4日間で往復した。
初日と最終日は大阪への時間が加わるから、連日10時間行動。
いやあ、しんどい、10年前の体力が必要。大阪では、部屋にいるだけで、
汗たらたらだが、この3泊は寝るとき「寒いなあ」というぜいたく状態。
帰りは大阪に近づくにつれ、横で火が燃えているようにいた熱い!
澤山さん「チングルマが ワタゲになっている 一週間前はまだ花だった、 秋だねえ」
おれ「夏の北アルプス ホーホケキョ いるんだねえ」 
 
 

北八ヶ岳  2008年  上西・斉藤・衣川・岡村
三人で車に乗って信州に来た。ここは北八ヶ岳、黒百合小屋。唐沢鉱泉
登山口から2時間強で来られる。雨の多い季節は苔が目の覚めるような
緑色、デカイ石も木の幹も木道もうそのように鮮やかな緑。緑、緑の中
を歩く登山道だ。今は雨の少ない季節、苔に鮮やかさはないが、石は滑
らない、水の流れもほとんどない谷筋は歩きやすい。テント場には十張
りぐらいの色とりどりのテント、若い男女の声がワイワイ聞こえてくる。
最近の登山ブーム、中高年ばかりだが、ここは山の優しさ美しさ宿の整
備などで、二十代の学生風団体、三十、四十代のカップルやら仲間と老
若様々な人達がいて、テントの前で夕食の用意を始めていた。十月の二
千メートルを超えた高さ、日没近くなると寒気がじわじわ寄せてくる。
昼間は半袖のTシャツでも汗が出たが、上下の肌着にダウンのジャンパー
を着こむとさすがに寒さは全く感じない。せっかく買ったビールをぐっ
と飲み干す気にはなれない。湯割りの焼酎が暖かい。腰の悪い上西さん
も登れたうれしさに杯を重ねている。夕食はミートスパゲティーと袋に
入ったあての数々。オレ、車の中で話している最中に「あ!靴を忘れた」と茫然となった。
大事なものを忘れてきてしまったと車中の会話の最中、思考が止まった。
「ヒマラヤのヘルパーなんて、雪山をサンダルだ。大丈夫」衣川さんの
一言で「オーケー、歩いてみてダメなら、黒百合から帰ればいい」と気
が楽になり、まずは自身を納得させた。

朝は氷点下、テントや枯れ草にはうっすらと白く霜、地面は、にょきっ
とは伸びきらない霜柱、この付近の木々は、大阪と違って黄に赤に色づ
いている。もう何日もしないうちに信州の高地は冬に入るのかな。朝食
はご飯を炊いて、みそ汁、塩コンブ。「三合炊くんだった」残念がる衣
川さん。二人が車で、美濃戸口まで迎えに来てくれるというので、オレ
ひとり赤岳鉱泉まで足を延ばすことにした。唐沢鉱泉から黒百合小屋ま
での樹林帯はココで終わって、尾根道は視界100パーセント。天候がよく
周りが全部見渡せるなんて久しぶりだ。ここ何回かの雪山、曇るか雪か雨、
足もとの雪と草しか見なかったような記憶。三十分先も一時間先も見える。
天狗岳も硫黄岳も見える。後ろの蓼科山に白駒池、左右眼下の街並みも見
える。八ヶ岳の全てが見える。以前硫黄岳に来た時、すごい強風に驚かさ
れた。テントを担いでシラビソ小屋への途中、一歩一歩が前へ出せない。
足を動かすと飛ばされそう。四つん這いになって一瞬の風の弱くなった時
にサッと進んでまた踏ん張った。人に聞くと風の名所だそうだ。おれ不安
げに硫黄岳から降りてきた人に「上、風吹いてましたか」と聞けば「ここ
と同じくらいの風だよ」と聞いて胸なでおろしルンルンで登って行った。
運転がしやすいと履いてきたペタ靴、ガレ場も気にならず、むしろ地面に
フィットする。滑る所だけを注意すれば今の季節こんな靴でも歩けるのだ
と大発見。

下りは人気がなく熊よけの鈴を買っておけばよかった後悔。ほどなく赤岳
鉱泉の屋根が見え「なんだここに出るのか」と何度も来たところ。次に谷
沿いの穏やかな道。あたりの小川は赤錆び色。赤岳は鉄錆の山なのだ。
それから二時間ほどで合流でき、あとから来た斉藤さんと四人、蓼科の
ペンション(亡き阪口氏夫人が経営するひこう船)で祝杯。わがままに、
オレ一人歩かせてもらって仲間に感謝。
 
 
 

 御池岳  2008年
木々の葉が赤く彩られる季節には二週間ほど早い。ここは滋賀県、御池岳
から湧き出る清流、白い小石の間を流れる冷たい水はまわり
の空気を凛として木々の葉は黄や赤だ。この山は石灰岩、てっぺん
は穏やかに平ら、白い巨石ゴロゴロ、それに翠の苔が生える。白と
緑の色合いはコントラストの強さにハッとさせられる。ポコッとへ
こんだ穴は火山口のような形、そこに水が溜まって池ができている。
けもの道が火口下まで降りているのは、動物たちの水飲み場か、鹿、
タヌキ、キツネたちが人のいない時に水を飲みに来て、歩きまわり
遊びまわっているようだ。下には鍾乳洞があるかも。そんな清流で
テントを張った。夜は鹿がピ〜ピ〜鳴く。焚き火を燃やして旨い鍋、
旨い酒。火に酔った仲間が歌い出す。踊り出す。焚き火の赤い炎が
漆黒の闇の中にゆれ、火の粉がフワァリとあがってゆく。炎を見つ
め、己が魂を見つめ、時を感じ、空を感じ、生を感じ、夜は更けていった。
 
 

槍ヶ岳  2009年  正月
雪の山から下りてきた。「やっと、無事に車にたどり着いた」と風呂に向
かった。人間の身体は勝手なもなのか、うまく出来ているのか、山の上の
方では「暖かい、手袋がいらない」と言っていたのに、やっと車にたどり
着き、車に乗り風呂に着いたら、「やあ〜寒い」身体じゅうがゾクゾクな
って来た。一日じゅう、山を歩いてきて、車内に入ったらすぐに身体の調
節機能が自然モードから人口モードに替わったようだ。温泉風呂のあるバ
スターミナルは、標高は高いとはいえ、先ほどまで歩いていた山の上の方
がずっと寒いはず。
新穂高温泉の登山者専用駐車場に車を止め、山の服、靴に着替えて出発。
穂高平で一泊、槍平(避難小屋)で一泊、翌日槍ヶ岳を往復、その日槍平
でもう一泊、新穂高温泉の登山者専用駐車場に帰ってその日のうちに帰阪
するという3泊4日のコースだったが、曇天が続き、好転の兆しもなく、も
っとひどい吹雪になりそうで、滑落、雪崩と遭難の話が飛び交い、ヘリコ
プターまでが飛び交い「これはやばそう」と槍ヶ岳登頂はあきらめ、槍平
から引返した。槍平の小屋付近、例年正月前後の季節、何十張りの色とり
どりのテントで賑わっていたのに、今年は避難小屋に十人ぐらい、テント
も四、五張りしかない。去年の正月、雪崩でテントが埋まり何人かが亡く
なった。供養に来ている人もいて、話を聞くと、小屋の間際で幕営してい
て、どこからか飛んできた雪に押しつぶされ亡くなったそうだ。「雪崩は、
木のない平地に飛んでくる」「急斜面はもちろん恐いが、雪崩の着地点、
平らなところも、恐いのだ」何年か前、さあ渡ろうとしていた目の前の大
雪渓が大音響で崩れ落ちた。もしそこにいたら、木っ端みじんになってい
ただろう。新雪の表層雪崩は、フワッとした雪が、シャーと超スピードで
落ちてきて、谷で止まらずジャンプして反対側の斜面にまで来るかも。雪
崩には会いたくないものだ。 
 
 

僧ヶ岳  2011年 5月
今年のGWは、去年と同様、富山県魚津市片貝川に入った。登った山は、
去年の毛勝山より日本海側の僧ガ岳。片貝川沿いの村々、水田が広がる美
しい村。日本の原風景だ。地元の人には悪いが、現代がどんどん入り込ん
で、ちょっと興ざめ。近代護岸工事とか、キャンプ場とか、、、。
 
 
 

大嶺   8日 
大峯の山に登りました。地元の人の話では、今年は子どものころ以来の大
雪と、じじばばさま。スタッドレスタイヤの車も、ヒヤ〜、フニャ〜と滑
りまくり。車を降りて靴に、ヤッケに、スパッツにと着替え、登ること3時
間、目的の山のてっぺんまで行くことができました。向かいのギザギザの
山で、昨日から帰らない人がいるとかで、ヘリが1時間以上もホバァリング。
無事発見されればいいけど、冷え込みがきついので、どうかな。この寒さで、
雪に穴を掘って、2.3日してから助かる人もいるけど、そんな方は若いです
ね。オレの年では、、、? 山岳保険に入ったのでヘリ代ぐらいは出るみ
たい。年末、膝痛で今回の山心配したけど、事なき。今年は、雪靴はじめ
てはいたが、プラブーツの寿命が5年ぐらいとか。もう5年を超えるかなあ。
雪山の中で分解して潰れたら大変だ。