えかきのぼやき 画文 2008年・2009年
 
 
2008年 正月 おめでとう
今日は ついたち 正月だ 7時に目覚めた カーテンの隙間 から 朝日のこもれびが 
壁に チラチラほう 今日は 晴れだ 一昨日くらいから 寒い 今年は 上高地から
蝶カ岳の 予定だったが 中止になった 今頃 テントで寝てたら 寒かろう
年末 市の検診で <北野外科> 検便に 潜血 があるとか 朱先生のところで 
精密検査 大腸内視鏡 検査とは しんどいものである 可愛い 看護婦 2人もいた
先日 何人かで 酒盛り 1升呑んだそうだ オレ どれくらい 呑んだのだろう
深酒 は やめるぞ! 
 
 
2008年 1月 26〜30日 ギャラリーみずの 個展
ふた月前の10月茨木で、3か月先の4月、また茨木でと個展が3回続く。
図版は 「ぴあのをひくひと」70x60cm
先日 アニメやら漫画やらのキャラクターを絵にしている作家の画を新聞で見た。
コレはコレでなかなか楽しい。とはいえ 絵を文字で説明できないので失礼。絵画が置き
去りにされかけている昨今、「絵画万歳」「画は最高」と気を吐かねば!御高覧を。
世のお兄さんお姉さん、浮世に浸っている場合ではないですぞ。本当に最近は、じっくり
鑑賞するとか、じっくり考えるとか、たまにはやってみてくださいよ。 
 
 
2008年 人権
去年の暮れ、人権講座に出席した。もう5.6年こういう講座には出ている。「人権」などと
いうけれど、根本は人と人のふれあいが基本、人と人が話し合う、人が人がわかりあう、
道徳も哲学も宗教も芸術も思想も。「人と人」という部分では共通している。
「自分を想う」「他人を想う」「オレがいてお前がいる。お前らがいて、オレがいる。オレ
もお前らも、共に生きていく」コレが世界だ。規則だ、お金だ、の世界を超えて。 
 
 
2008年 来廊御礼  岡村隆久展 1月26〜30 ギャラリーみずの
 寒い中、私の展覧会に足を運んでいただいて、ありがとうございます。ギャラリーみずの
での個展は回を重ねてもう4回目。「みずのさん少しでも長くギャラリーみずのを続けてくだ
さいよ」と冗談を言いながらも、考えれば、毎年やらせてもらっても10年で10回。同じ年の
オレとみずのさん、10年経てばいい年だ、と、まじめに考えてしまう。今回の展覧会に小さい
タブローを出品しようと、去年の秋ごろ、アトリエの隅に積み上げてある未完成の画をいく
つか出してきて、手直しを始めた。「?」「?」の日々。「え、どう描けばいい」の日々。
いつも涼しい顔をしてはいるが、うまく行く日は月に一回、二月に一回だ。ウンウンうなって、
展覧会前、10日、5日。ようやく頭の中が温まってきて、考えが纏まって、筆が走り始める。
切羽詰って、やっとでき上がる、この快感も、実にいい感じ。こんなに永く、画を描いてきて、
絶対にこれが「オレの画」「オレの考え」が決まってない。絶対も再三再四言っていると、
これはもうオオカミオヤジだ。生涯、迷って、曲がりくねるのも、道なのかな。明日から展
覧会。寒い寒いと言っても今年はまだ、近所の安威川が凍っているのは見ていない。流れて
いる川に薄氷が張るのだから、相当寒いのだろう。最近の毎日は、この川を見て、風を聞いて、
光を見て、画を描いている。そのうちいい画ができますぞ。 
 
 
2008年 女子マラソン
展覧会二日目、ギャラリーみずのの奥さんが「1時ころ、そこの公会堂そばをマラソンが通りま
すよ」と教えてもらって、カメラを持って観戦に。写真には写ったが、オレ見ていない。走って
る選手を見ていない。ああ残念。オレの、あほ〜め。メン玉ひん剥いてよく見ないと。えかきや
ろ!写真写すより、見ることだ、と、つくづく反省。 
 
 
2008年 入院
大腸ポリープ削除。今朝は絶食で病院に着いた。看護師さんが、さあどうぞと病室へ。2リッター
下剤入り水。ぐいぐい2時間で飲んで初体験の点滴。午後点滴をつけたまま内視鏡室へ。看護師
さんが、さあどうぞとベッドへ。施術は麻酔を塗るときと視鏡室挿入時に痛いだけで、後は
「ゴポゴポ、フワフワ」と空気や水の出し入れで、ちょい気持ちが悪いだけ。「終わりましたよ、
取れましたよ」と先生の元気な声。またまた看護師さんが、さあどうぞと病室へ連れて帰ってく
れる。針を抜かずに次の点滴。なんと夜の10時まで点滴の3回転。終わったら針が抜けると思っ
たら針はそのままネットでかぶせる。「ええ!大丈夫かな」とかばいつつ寝てしまった。朝も絶
食で「昼、食事を取って、何もなければ退院ですよ」と先生。もう、ハラヘリで昼食をガツガツ
食って予定通り退院した。友人の朱先生も何度ものぞいてくれた。たまたま共通の友人富一も診察
に来たついでにのぞいてくれた。あくる日の今、すこぶる元気の快調。
先生、やさしい看護婦さんたち、ありがとう。 
 
 
2008年 建築家 河合喬史 アメリカ デイトン市 在住
河合さんと会った。図版は2年前新築した自宅の壁に納まるオレの画だ。10年前ニューヨーク
に行った時、20枚ほど描いた。持って帰れないので置いてきた。全く忘れていた画だ。アト
リエに、立派だが古びたイスがあった。その椅子を描いた。今のオレ、嫉妬するほど瑞々しい
感性に脱帽。河合さん、和美さんと一緒になって立派な青年になった二人息子と4人家族。建築家
としても、アメリカで根をおろしている。永く外国で暮らしている皆さん、よく帰ってくる。日本
がいいんだろうな。
反対に芸術家にとって、外国,特に欧米は暮らしやすそう。なんていえば、叱られるかな。 
 
 
2008年 はちだあ!
ふと目を上げると、これがあった。ミツバチが群れている。どんぶりばちの大きさだ。写真家の
中西さんが、わざわざ飛んできた「ドえらい珍しいものに遭遇したなあ」これは一つのグループ
に交尾繁殖できる女王バチが一匹だけ存在し、ひたすら繁殖活動に日夜はげむ。ところが何かの
拍子にグループ内にもう一匹の女王バチが誕生。新しい女王が大勢のオスの働き蜂と兵隊蜂をお
供に別の場所に新居をかまえる。 分蜂だ。旧家をとびだしたばかりの新しい群れは異常な興奮
状態で新女王とともに落ち着く場所を探すまでの間、2,3日群生する。 別の方の話だと「信号
機にもよく群れるそうだ」 
 
 
 2008年 絵の話
黒 そういえば こんなにくろい黒を 使ったのは 久しぶり そこだけが ぽっかり穴が開いた
ように なのに まわりの色を いきいきさせる二つの図版は 画の部分だ 梅雨に入ったとか 
ガソリンが 170円/Lだ 相変わらず 画が欲しい という人 いない
 
 
2008年 茨木市市制施行60周年記念 元茨木川緑地彫刻コンクール
これに 「雨乞いの竜」を 出す 資料つくりに 3日間 これから摸型に 何日間か 買取賞金 
500万と 次席300万 出品料 3000円買い取りということは ブツの 作成、設置に 
500万円では 足りないだろうな
<説明書>10年ぐらい前、茨木市内、地域の小学校記念誌作成を依頼された折、この地域に民俗
学的にも輝かしい土俗的風習があったことを発見。それが「雨乞いの竜」。何十年前に、当時の
村人が作った「雨乞いの竜」の写真も出てきた。その写真を見ると、ナマズのような竜と、昔の
青年たちの顔が写っていた。これは茨木の無形文化財として誇っていい風習だと常々思っている。
昔の茨木は水田の中に、ぽつぽつ人家のあるような地域だった。百姓仕事にとって灌漑は大事なもの、
旱魃が続くと天にも地にも祈るしかなかったのだろう。今回の元茨木川、埋め立てられたたくさん
の元タメ池は、灌漑用だった。「雨乞いの竜」を、彫刻として造り、茨木の無形文化財を伝承したい。
◎彫刻コンクール見事選外 残念だあ〜。今年の後半は、竜の彫刻制作、金策、打ち合わせ、取材、
取り付け、完成とてんやわんやの時間が持てると、ほくそえんでいたのだが、今は、相変わらずの
静かな日々。 
 
 
2008年 絵の話 サイクリングやローズ
自転車の画ができた。なかなかいい。図版は部分だよ。最近、自転車、単車の画を、10枚に2,3
枚の割で描いている。単車には乗れないが、自転車に乗るのは好きだ。衣川さん、大学自転車部
出身で、昔はすごい距離を走っていたようだ。山越えの話は壮絶で、坂道を自転車に乗ったままで
登らなければ行けないとか。自転車から降りて、押してはいけないとか。おれ山登るのは平気だが、
自転車の登りは苦手。降りて押してしまうなあ。下り坂はスイスイラクチンなんていうけれど、
信用できないブレーキ、これまたスピードは出せない。大阪市内には、淀川河川敷を走って行く。
電車なら1時間。自転車なら1時間半。なかなか楽しいが、いくつまでこんなことができるかな 
 
 
2008年 写真
今のカメラ、モノクロ(白黒)写真も撮れるのだ。床に何も描いてないキャンバス。窓の外の木の
葉の隙間から透きとおった陽の光ユラユラ。向こうにおれの画が立てかけてある。色のない世界
なんと新鮮。水墨画を描いている方が、白黒の世界を強調されていた。オレ、画を描く時はいつも
色を入れてしまう。チト、白黒の世界、挑戦してみようかな。新鮮だ 
 
 
2008年 石井家挨拶 東京
久しぶりの東京・新幹線の3時間はしりが痛い・富士はチラットてっぺんを見せた・新宿の街に
坂があったんだ・花園神社に初めて入った・美術研究所の帰り道テントがあって芝居をしていた
昔呑んだ盛り場がまだあった・梅割り焼酎やらホッピーをのんでいた・新宿ゴールデン街は当時
高根の花・六本木新しい美術館を見た・六本木は喫茶店アマンド?だったっけ・木を使った彫刻家
がんばっているなあ・娘の嫁ぎ先の家グーグルで検索した時の写真それだった・楽しく迎えてもら
った・うまい食事と酒・飲んだワインなかなかのものだそうだ・ 
 
 
2008年 紅葉
あの はっぱが ほしい あかい はっぱ 道に 落ちていた 通り過ぎて 思案して 
やっぱり あの はっぱ ほしい と 引き返して ひらった あかい はっぱ 
もう一枚 あかい はっぱ これで 秋の寒さ 身に 沁みる
 
   
2009年 正月
皆々様。明けましておめでとうございます。最初に殊勝にご挨拶を申し上げましたが、
実は私メ、「めでたい、めでたい」と申しますが、正月はあまり好きではありません。
めでたくもありません。そういう意味では、夏のお盆もそうですが、日常ではない、
普段ではない、身の置き所がない、そんなわけで正月は好きではないのです。
「めでたい、めでたい」はおそらく、無事息災に生きてこれた、1年に締めくくりを
通過できた、うれしい、ありがたい、めでたい、ということだろうね。うれしい、あり
がたい、めでたい、なんて日が、正月でなくてもいいんじゃないのかな。普段の日でも、
私メの締めくくり、節目はいくつかあって、うれしい、ありがたい、そんな日にこそ、
めでたい日となります。なんてなことを申し上げて、へそ曲がりと、小言を言われない
うちに、本年もよろしく、相変わりませず、お付き合いください。 
 
 
 2009年  耳鼻咽喉科オレ、自宅改装の期間、騒音塵芥の中、2階アトリエに寝起き
していた。3月の花粉症の時期が過ぎても、ミズバナ、くしゃみ、ノドイタが、治ら
ず長引くので向かいの須藤耳鼻咽喉科へ。「ムム、咽も鼻も腫れてますが、きれい。
そのうち治りますので、がまんできるなら我慢してください。」須藤先生おっしゃる
が、うれしいような、悲しいような。年々身体がだるく、体力が無くなる。びっくり
したのは、ジョギングシューズが、もう一年も履いている。今まで、半年で潰れていた。
老いた分 その分、周りをよく見る。なんでもない光色形空気が気になる、気に入る。
 
 
2009年  ウイルス
豚インフルエンザが突然やってきた。何年も騒がれてきた鳥を超えて、豚がやってきた。
日本の空港にもやってきたと報道されたとたん、なんと我が茨木でも集団感染。学校、
図書館、公民館役所の施設が一週間の完全閉鎖。子どもたちも家に閉じこもって、
街中ヒッソリ閑。以前パソコンにウイルスが侵入した折「ウイルス感染は、被害者が
即加害者になる。」と言われてショックだった。今回の騒動、「ウイルス感染は、
被害者が即加害者になる。」の理論を主張する人も多かった。確かに正論かもしれな
いが言葉の暴力には気をつけよう。ウイルス感染して、体力気力が滅入っている人に
いきなり 「おまえが、加害者だ」とショックを与えないために 
 
 
 2009年 岸和田だんじり祭り 9月19日
有名な祭りに行った。一年前からカメラマンの中西さんに誘われていた。係りの人から
事前に法被と股引を渡され「当日朝の8時に南海岸和田駅に着いたら、法被、股引姿
になって歩いて来てくれ」といわれた。なるほど一般道は立ち入り禁止で、通行人も締
め出している。この姿でないと歩けない。初めての股引、前か後ろか自信がなかったの
で、路上の兄ちゃんに「この穿き方あっている?」「大丈夫です」と聞いたものだ。
地元の人たちは皆さん法被姿。足は地下足袋。岸和田全部がだんじり祭りだ。「町内の
皆さんの顔写真頼む」と言われ、3,4回<中北>だんじりについて走り回って、前から
後ろから撮りに撮った。練り歩きは曲がり角に来るといったん止まって急加速、狭い角
でも直角に回転。なるほど上手いものだと思うが、事故が起こっても不思議ではない。
曲がり損ねて、だんじりが傾むいたり、壁にぶつかったら、一人二人の怪我ではすみそ
うにない。一回に1時間以上も走り回る練り歩きはついて行くだけでもハード。曳いて
いる若者、舵をとるベテランには重労働だろうが、みんなこの祭りにかける情熱はすごい。
男は人生をこの二日間の練り歩きに懸けている、とは大げさないい方かな。途中車輪が
欠け、タイヤ交換。携帯電話で新品車輪が軽トラに乗ってやってくると、ジャッキでだ
んじりを上げて交換が無事に終わる、という珍しいハプニングも見た。
 
 
2009年  年末
一年が終わろうとしている。「この一年、あなたにとってどのような年でしたか。いい年
でしたか。私はまあまあいい年でした」と、知人からの問い。そう問われたら、いくつか
のできごとがあったが、それらが夢のように消えていったなと思える。今、オレはただ
ぼおっと自分を見つめる自分を発見。それでもいくつかの風景が浮かんでくる。
☆新しく改装なった我が家の柱のホゾを見つめていた。木のいとなみが実にきれいだ。
☆娘が子供を生んでいる時、中央環状線の歩道を歩いていた。横を車が走っていた。
☆山で、峠を越えた時、下に広がる雲海が、荒れる海のようだった。
☆酔っ払って、隣で怒っている男の顔を見つめていた。今日、最近作を撮った絵の写真
を整理した。「ムム、満足だ」来年もやるぞお!
皆様もよいお年を。 
 
 
2010年  正月
今年は今日からスタート。大晦日、元日は普段とは違う。普段の日々に流されてしまう
自戒をこめて今年こそ、オレを確立しよう、生きていこう。,,,,,,と思う,,,。
写真図版、大晦日に八ヶ岳の尾根に上がったところ。まわり全部がまっ白で何も見えない。
これが夏なら、硫黄岳の白っぽい土と緑のハイマツ、その横にでかいケルンが立っている
はずだ。これ以上の前進は危険なので引返した。それにしてもひとりテントは寒いSOSだ!  
 
 
2011年 梅干し
梅干が出来上がった。衣川さんが梅3キロ送ってくれた。梅干造りはもう4,5年続いている。
晴天続きの今、4,5日天日干しをしたら完成だ。今年は例年より早く梅雨明けで、天干しが
半月早い。ベランダにあるそれらの梅干を見て、アトリエの絵にも、こんな色。紫蘇の葉が
さっと色が変わる。渋い赤だ。きれいな赤だ。
先日同級生の苗村が亡くなった。葬式で隣にいた小西が「癌をとって、彼は5年 オレは9年 
毎年会って写真を撮り合い続けた」と泣き声。「泣くな」と思ったが、ハンカチ無いのに涙。
天井を見続けた。仲間とアトリエで飲んだ時、苗村、何が楽しいのか、椅子から立ち上がっ
て、アトリエの床に転がって、手を叩いて大笑い。抗がん剤治療も豪快にこなしていた。
「オレが新聞記者として、大成しなかったのは、人の名前がすっと出なかった」と言っていた。
「それだけかなあ」なんてオレいいませんぞ。残念な友。毎日の記者
 
 
 2011年  GW
毎年GWに山に入ると、ひと月遅れの桜を楽しめる。今年は東北大震災の自粛ムードで、
花見がなかった。図版の桜、人がいない山の中で、満開だった。
 
 
  
2011年 岡村隆久・展  3/ 7〜12 シェスタ倶楽部
「いい絵とは何ですか」と聞かれて「ご自分が見て、いい絵だと思う絵です」と答えた。
感じるままに楽しんでもらえたらうれしい。「お〜い、いい絵を描いているか?」と見
に来てください。
岡村隆久展に来ていただきありがとうございました。会期中に東北巨大地震がありました。
長くフーラフラと揺れ、吊っている絵が揺れ、地震が起きたのかとすましていましたが、
帰って報道を見てその破壊力に驚き、被災した方々を思い心痛みました。こんな時に展
覧会をしていていいのかとも思いました。今回の展覧会、絵をならべてみて、「よしこ
の絵で、このやり方で最後まで(死ぬまで)やっていける」と確信しました。60歳前後
から色々なことが解決してきました。そのひとつは30歳代に、ひとつ40歳代にと若い頃に
試みていることですが、当時その一つがうまく 
 
 
2011年  雪かき報告  富山県
2月15.16日と、上西夫人、久子さんの里、富山県福光に行った。大阪方面久しぶりの雪、
まさか高速道路通行止めかな、という事もなく、日本海を見てからも薄日が差す。「日
本海側で晴れなんてめずらしい」と久子さんが言うが、二日間とも晴れ。幹線道路から坂
を降りたら家。古いが屋根の黒瓦、白いしっくい壁に、縦横の柱、梁。雪国の日本家屋は
重厚さを感じさせる。家の敷地の二面は深くえぐれて川が流れている。「川に面していな
い面の屋根から落ちてきた雪をまず削りましょう」との号令一下、瓦の側まで積もった雪
にスコップを当てた、硬い。最初の一時間は四苦八苦。後でわかったが、硬いところの下
は柔らかい。その柔らかい部分の雪をすくっていけば、作業が楽だと発見。この辺りの家の
瓦は滑りやすい釉薬かけ。屋根にはほとんど雪はないが、落ちた雪が軒下に積もっている。
冬に入って何回か雪かきしてるそうだが、雪は軒下部分は瓦に手が届くところまで、それ
以外のところも背丈ぐらい積もっている。小型ユンボでもあれば簡単かもしれないが、ス
コップ一本で雪をすくって棄てるのは大変な労働力。一冬ほっておけば家がすっぽり雪に
埋まるかも。そうすれば、家が崩壊するかも。若い労働力、機械のない家は深刻だ。今回
は二人で二日間という事で、突出部分を削って、家の周りの、背丈ぐらいの雪はまた次回
という事で終わった。とにかく着いた日に2.3時間、あくる日5.6時間二人でスコップをふ
るって、トラック一台分ぐらいの雪は削れたかなあ。きつい労働ですが、それがまた楽し
い時間。次回機会があったら皆さん雪かきツアーいかがですか。氷見市に近いので、魚が
うまい。また誘って下さいと久子さんに言いました。登山と同じくらい楽しい。 
 
 
 2011年  仏教
「ソウモクコクドシッカイジョウブツ」草木国土悉皆成仏という言葉を知った。中国から
伝わって、鎌倉時代に仏教界でさかんに言われたとか。「ヤオヨロズ」 八百万のカミ。
人の動物も虫も、草木さえも、岩やら山さえも、カミが宿る。キリスト教の一つが、その
うち人は死なくなる、死者は復活する。最近、宗教のそんな言葉を聞いて、人間とはす
ばらしいなあと思う。人間はタユタユと生きている。ただ諍いの原因、パワーの差、民族
の差、宗教の差、この三つの中の一つとも思う。
 
 
 2011年 誕生日
12月の誕生日が過ぎたら64歳になっていました。これはいよいよ「じじい」だなあと、
感慨深い。これで親父の享年を超えた、とも。親父の晩年の写真が、長く机の引き出し
に在ったが、今はなくなっている。その写真、白髪頭で爺さんだなあと思っていたが、
今のオレがそれだ。ま、とにかく、若々しくがんばるぞ。
 
 
2011年 いてて
去年暮れ、膝痛で隣の整形外科に駆けこんだ。おかげで年末の北八ヶ岳キャンセルとなっ
たが、これも加齢のせいだとかいっている時に、これよりもっといいものがあるはずと別
の事に挑戦しますが、次から次にいいものがあるわけはなく、長いトンネルに入ってしま
うのです。そして10年も経った頃、何かまた素晴らしいものを見つけてしばらくはうまく
いく。そして次に考えてしまうんですね。下らぬことは考えても実行してもいけないとい
う典型です。当時それが下らぬこととは思ってもいなかったのですが。いずれにしても最
近の4,5年、今までの中から、いいものを一つ二つ頂いて、絵の中に取り入れて、描いて
います。 画題の一つに「わたしはわたし」という題があります。これは人の顔シリーズで、
自分も君もあなたも含めて、人の顔を描いています。私なりの<へのへのもへの>で私だけ
の形象文字、私だけの形です。もう画題も増えることは少ないと思いますが、前回はあの
画題はこんな解決、今回は違った解決をしているなあ,なんて私のアートを見守って下さい。
「あと20回は展覧会を続けるぞ」と思っていますが、いかがなりますか。次回の展覧会もよ
ろしくお願いします。
 
 
  
 
2011  9/27〜10/2  クラフトギャラリー集しゅう  
「岡村隆久さんは、大阪を中心にこれまで40年近くにわたり、現代美術に精力的に活動を続
けられています。今年で64歳という年齢を感じさせない大胆な感性とパワーをご覧ください」
ギャラリー店主大原さんの弁。原稿をいただいたとき、65歳となっていた。「すみませんま
だ64歳です」と言いながら笑ってしまった。もう何か月かで65歳になるなあ、と思ながら、
些細なことを訂正する自分の姿。いくつになっても定年もなく、絵を描いておられるし、ま
すます楽しくなってくるこの頃。欲を言えば、もう少し小銭が欲しいが、こればかりは好転
しない。展覧会が決まった時点で、店主の大原さんがアトリエに来てくれて、あまり一般受
けしない抽象画系のものを中心に飾ろう、と言ってくれた。毎日一生懸命描いているやつら
なので、うれしい限り。どなた様も買ってください。分かりにくい絵ですが、いいですぞ。
 
 
   
2011年 カンナ
庭に赤い花が咲いた。春に衣川宅に咲いていたのを見て、「欲しい」と、スコップで穴を掘
って一株分けてもらった。「どんどん増えるよ、長い間咲いているよ」と母上がおっしゃった。
とにかくその赤と大きさが気に入った。以前、田舎の畑や野原に赤い葉鶏頭が咲いているの
を見て、感動した。緑ばかりの空間に、あの赤色の花がべろりと咲いている。赤がすごい。
手のひらサイズのべろりが、またすごい。どうも他の人はあまり好きじゃないようで、こんな
にでかい声で絶賛するのは初めてだが、今まではばかっていた。秘かに思っていた葉鶏頭の代
わりとは失礼だが、色といい形といい申し分なし。花の名前はなんというのかな。丸山健二が
白い花がすきだと書いているが、オレは赤だ。
以前画商の水野さんが「大阪の赤」と言っていた。明治、大正時代に活躍した関西在住の油の
絵描きで赤を多用する人がいて、その赤が独特のズズグロイ赤。絵の具に慣れていない人のた
めに解説すれば、真っ赤な色を塗る前に、緑とか青を塗っておいてその上から真っ赤を塗ると、
くすんだ赤になる。今ネットで調べたが、そんな赤い絵を描く絵描きが見当たらない。どなた
かまた教えてください。図版は小出楢重だが 背景が赤の画が見当たらない。