赤岳鉱泉・硫黄岳 2020年11月9日10日- 2
 
 
 てっぺんの、ちょっと下の鞍部(赤岩の頭)「おおお ここまでこれたぜ うれしいぜ 雄たけびだあ」
上はもっと寒かった。ダウンをもう一枚着込み、フードをかぶり、オーバー手袋、寒い、冷たい。
 
 
 
 
 
 今日は天気が晴れの予定だったが、真っ白け。雲か、霧か、霞か。
 
 
 
 
 
 樹々に霧氷が表れた、枝やら葉っぱに白いものが見えだした。まだこの辺りは森林限界の少し手前、
木の背丈は低くなりだしている。これはダテカンバかな、風でぐにゅぐにゅ曲がり立っている。
緑のはっぱは針葉樹、これも背は伸び切らず、ずん胴のからだつきだ。
 
 
 
 
 
 硫黄岳山頂だ。広い、象の背中のようにまったりだらりん。背丈を超える大きさのケルンが続く。
とはいえ今日は、次のケルンがやっと見えるぐらいに、視界不良なり。
 
 
 そうとう上空の風がビュンビュン雲を吹き飛ばし、青空が見え、次に雲が押し返し、
そんな一瞬一瞬が何度かあった。この見え方はそれなりにすごい、ずっと青空の下で静かに
景色を楽しむよりも劇的、「あ 見えた また 見えた」
と風景の断片を接ぎ合わせてまた合わせ、オレの頭の画像がそれなりに大いに満足している。
 
 
 寒い、冷たい、零度だ、風が吹く。懐かしいねえここは、何度も来ている、思い出すことがたくさんある。
手かじんじん痛い、オーバー手袋をつけても冷たい、霧が晴れない、何も見えない。
 
 
 
 
 
 杭とくさり。右っかわは 崖だ。500メートルも切りたった崖だ。火口だ。
 
 
 ちょっと待ってみよう、なんだか明るくなってきた、てっぺんをうろうろして小一時間はいたかな、
一瞬霧が晴れ、「あれれ 青空が」「おお 下の街が見える」そう言う一瞬が何度もあり、
その都度歓声を上げ、向こうの山をこっちの山を見まわした。シラビソ小屋はどこにあるのか見えなかった。
 
 
 
 
 
 八ヶ岳連峰の火山活動は、125万年まえぐらいから始まり、最も新しいもので3万年前の
天狗岳やら横岳の噴火らしい。ということは、八ヶ岳山麓にいた縄文人は火山噴火にあっていないんだよねえ。
 
 
 ここをまっすぐ行くと、赤岳だ。
 
 
 
 
 
 ここをまっすぐ行くと、黒百合ヒュッテ、蓼科山だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ちょっと下の鞍部(赤岩の頭)に帰ってきた、てっぺんもフラリおだやかな広場だが、
この鞍部もフラリといい所だ。上にお堂があったと思ったが・・青空が出てきた、
赤岳への峰々が雪か霜で白く輝きだした。
 
 
 
 
 
 テント場まで戻ってきた。「さあ ラーメンを喰おう」湯を沸かし、インスタントラーメンと
乾燥野菜を入れ、いただきます。上でパンもたくさん喰った。目の前で、氷雪訓練用のやぐらを
組み立てている。20人ぐらいがパイプ足場に網を張る工事をしている。高所が弱いオレは、下から二段目で勘弁だ。
 
 
 林道がある辺りはカラマツの森、その下の石ころやら岩やら倒木の幹に、苔がびっしり張り付いている。
苔の森だ、夕日に当たって緑色が金色にも見える。
 
 
 
 
 
 
 リンリンと鈴を鳴らしている、「まだ 熊君いるかねえ 起きているかねえ もう寝てるかねえ」
何年か前の11月下旬、木曽駒の頂上直下、「なんで あんな ところに 黒い犬」
雪渓を走り降りていった、「あれは 熊だ」澤山さんと二人でケーブルを使わずに登って、
小屋泊まり。小屋の最終日で酒をたくさんふるまわれた。
翌日は反対側、福島Aコースを下り、中央線の列車で帰った。