福知山・小野村割岳 2020年 10月30・31日  -1  
 
 
 オレも老人になった、「まだまだ若いよ 元氣だよ」といったところで、
「鏡を見よ おのが写真を見よ」なるほど立派なオジンである。

道路に立っている、カーブミラー、これが好きなんだ、ミラーが好き?おかしいねえ。
 
 
 佐々里峠から、「小野村割岳」に登ろうとして車を走らせている。オレンチのあたり、
京都方面、神戸方面が、それぞれ東西にあるので、朝日と夕日が眩しい、
「東西があるのは お前のところだけじゃねえぞ」と怒られるかもしれないが、今日は朝日が眩しい。
 
 
 
 
 
雨具の上下を着こみ、ザックカバー、カメラの入ったポシェットにはビニール袋をかぶせ、まずは梯子を上る。 
 
 
 佐々里峠には、京都の大原から久多を通るルートを考えていたが、ナビは京北町の方に誘導する。
ええいナビを信用しようとそちらに向かった。「あれれ ここは前に来たぞ 高台寺だ 
ここは 廃村八丁がある村だ」なんと3時間半もかかって10時に佐々里峠にやってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
歩きはじめたころはしとしとだった雨が、だんだんきつくなってきた。空模様はまったくの雨の空でどす黒い。
歩きやすい道でアップダウンも少ない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小野村割岳は、立派な樹が在るということで有名だ。「巨木だ 巨木」
さすがにいうだけのことはあって、いくつかのでっかい樹があった、
が、オレにいわせれば、「でかいだけじゃねえ」である。どうもその魅力ぶりがピンとこない、
樹々たちの持っている個性的な魅力、精霊が宿り、叫び、震わせている振動が伝わってこない。
これはなんなのだろうね、雨のせい?初めて見たせい?もっと奥まで行かないとダメかねえ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 雨がやみかけている、冷えてきた。今季初めて毛糸の帽子を出し、手袋をはめた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いやだねえ、京大芦生演習林の連中、「なにさまだ くそやろう 歩いてるだけじゃねえか」
と思うが、彼らもせっかくの機器を、時間をかけた観察材料を、
潰され、倒され、怒り憤懣やるかたなしなのかな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 このあたりは熊が多いそうで、飯をほおばりながらも鈴をチリンチリリン鳴らし続けた。
熊には会いたくないものだ。この弁当は、昨日のおかずの余りもののキンピラと玄米ご飯、
梅干しも入れてある、旨い。
 
 
 
 夏は樹々のはっぱが、地面の草が生い茂っていただろうが、秋の山の中、晩秋の今、
冷たい風が吹き紅葉が始まり、でかくない樹もそれぞれに個性を見せて天に向かっている。
まもなくすれば葉が全て落ち、細いエダエダが針のように天を指す、
白いものが地面を覆い常緑樹の緑が生える、そんな時期ももうすぐだ。
 
 
 
 
 
 あっちこっちをうろうろしながら、でかい木を愛で、ゆっくり道草を喰って歩いた。
 
 
芦生杉 鎌倉、南北朝時代に 林業技術が発達し、一本の木から多くの材がとれるように、台杉仕立てが盛んにおこなわれた。
天然伏状台杉:根際近くから枝が何本も分岐する巨大な台杉。それぞれの枝が幹となり、次々入れ替わり、樹勢が衰えない。