三好山 2022年7月17日 
 
 
靴づれが原因か? 足を痛めて 2か月ぶりに登山靴を履いた 試運転は無事通過 
 
 
 
 
 21歳の大学生 吉田君と出会った
 
 
 
 
 
 摂津峡:子どもたちの川遊びの場所、遊び道具をもった親子連れがぼちぼち帰ってくるのに行き違う。
子どもの声、母親の声が山に響く。
 
 
 三好山てっぺんにやって来た、おお、まる見え、高槻が、茨木が、生駒の山々が、大阪の高層ビルが、
関空のひょろりビルも見える。ボワリ霞んでいるがここからは大阪がまる見え、戦国武将にとっては
まさに要衝だね。ここに山城を築き下を眺め人の気配を眺めるのは戦略的にすごい。
このちっぽけな山が三好山というのも納得。
 
 
 
 
 
 
 
 
 高槻市:芥川山城は、北・西・南の山裾を芥川がめぐる天然の要害・三好山182mに築かれた
戦国時代の山城です。摂津・丹波の守護・細川高国によって、1516年に築城されました。
三好長慶が1553年に入城。天下人との評価を受けるに至ります。長慶没後の1568年織田信長の
軍勢に三好一族は城を追われ、高山飛騨守・右近父子が城を預かりますが、やがて芥川山城は
廃されました。最大で東西約500×南北約400mに広がる地域には、最高所に主郭を配し、
幾重もの曲輪と土塁・堀切などの防御施設が設けられました。現在でも、城跡を歩くと
堅土塁や土橋、虎口、石垣などの遺構を見ることができます。
 
 
 ほ〜 ほけきょ けきょけきょけきょ きょきょきょ おお上手く鳴くじゃないの、
左のすぐそばで声だけ聞こえる。あれれ、スズメバチのぶんぶん、おお、でかい奴、
イエローディープ:濃い黄色に黒のまだら、頭をかすめて飛んでいく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 後ろから足音、振り返ると青年、どうぞと道を譲ったが、てっぺんまで二人で話しながら登った。
みずき君は21歳の大学生、経済関係の学部らしい、来年には東京に就職が決まっているとか、
185cmぐらいのでっかい青年である。「歴史が好きで 三好長慶の芥川城が見たくて・・」
無知なオレ、看板を見ながらも、“三好長慶”“芥川城”これらの固有名詞がかすんでいた。
「歴史の狭間 傑物がいない時代の この時代に興味がある人物なので・・」「ふ〜ん」
 
 
 
 
 
 
 
 
 午前中は絵を描くぞ なんて決めているが 怠けることが多い