ポンポン山 2021年 1月 8日 
 
 
朝8時 自転車で出発 歩きっぱなしで 夕方5時に帰り着いた 9時間の山行なり
まったく人のいない道を行った 鈴を鳴らしながら登った 写真は 何年か前からある 熊君の看板  
 
 
神嶺山寺の鳥居を出たところに牛地蔵というのがある。
かつて このあたりの 薪炭や寒天を淀川まで 帰りは寒天の原材料の天草やいろいろ牛が運んだ
荷役に使われた牛君を祀ってあるらしい
 
 
コロナめ、ますます活躍しているとか。ザックを担いで電車に乗るのもはばかられるかなと、
またまた、毎度マイドのポンポン山を目指している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
リンゴを喰おう、ナイフで半分に割る、半分をザックにしまう、ガブリ、旨い、
果汁が喉に流れ込む、リンゴを噛む、旨いねえ、歩きながらむしゃむしゃ喰った。
もっと欲しいなあ、ザックから半分を取り出し、ガブリ、リンゴがこんなに旨いとは、山サマサマだねえ。
 
 
 
 
 
 
 ケタイな樹に遭遇、「よくもここまで 曲がりくねって」じっくり探せば、
山の中にはまだまだ、捨てがたい樹、おもろい樹が棲んでるねえ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 この登山道に、「旧参道」と書いてあった。「登山道が 参道? 旧とはいつ頃のどこの話?」
 
 
 安威川の橋を渡りながら下を見ると、本流の半分ぐらいに薄氷、洗濯ものが凍る、
安威川の氷、びっくりだが、とにかく寒い。
 
 
 極寒の山で、零下1020度の中で、頭の寒いのは毛糸の帽子の上からジャケットのフードを被れば
何とかしのげた。今はネックウオーマーという便利なものもある。手は二重手袋でなんとかしのげた。
 
 
最後の鉄塔かな、大阪の街が見える、高層ビル群が見える、「あれ あれれ あれは海 
大阪湾が 見えるじゃないか 海の向こうの山は どこかねえ」
 
 
 
 
 
 
 しみじみ思う、「足が遅くなった 早く歩けない」ということだ。自分自身は、以前と変わらずスタスタ
歩いているつもりだけれど、若い女の子にも抜かれてしまう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
てっぺんにやってきた。途中、手が冷たい、手が痛い、温度計は-1度、うっすら1センチぐらいの雪が残っている。 
 
 
 空は半分青空、きれいな空。飯を喰う、炊き立ての玄米飯に、キンピラゴボウとレンコン、
青菜のおしたし、テルモスの湯、飲みごろになっている、テルモスあまり性能が良くないね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 てっぺんから 本山寺に向かう このあたりの小道 お気に入りである
 
 
 
 
 
 
 
 
 天狗が休んだ 大杉
 
 
 
芥川山城:摂津峡の上の口に、「ここから 城跡に行けます」という立派な看板がある。
すぐその上に小さい城跡があるのかなと思っていたが、自転車を降りて歩き出した
下の口にも古びた看板がある。二つ城があったのかと訝ったが、どうも立派な城が
摂津峡の対岸てっぺんに在ったらしい。16世紀に建てられた山城だったそうだ。
 
 
アトリエにあったチョコ入りクッキーと柿の種を持参した。チョコ入りクッキーは旨い、
もっと欲しいなとすぐに無くなった。柿の種、ランをする人が、「みなさん ペットボトルに
 柿の種を詰め込んで 水を飲むように 走りながら ポリポリするのが 日本の選手」
と聞いていたが、これはオレの口には合わない。まだあるな、ぽりぽり、旨くないな、ぽりぽり、である。