石徹白:いとしろ  2024年10月21日  
 
 
今回は一人で来た  前回 キヌちゃんと来たのは 御岳山の爆発後 後ろに見える御岳に手を合わせた もくもく出ていた
 
 
先日車検が終わった、去年買ったが13年目である。今回の道中、道路上で徘徊する猿を3回見た、
車のタイヤで潰されたどんぐりの中身を喰っているのかな、「うろうろしたら 危ないで」である。
 
 
 
 登山届を提出しましょうと書いてある。用紙がないのでスケッチブックをちぎって住所氏名などを書いて箱に入れた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
樹の幹やら枝やらを描いていた。 
 
 
 
 
 
ウイスキーをちびり飲んで、コンビニで買った生姜焼弁当を食った。
ダウンの上着を着て、足先にカイロを張り、シラフに潜り込んだ。
 
 
 
「確かここを 下っていく 簡単には 水は 手に 入らない」という記憶があった。水で湿ったへこみを
木や草を掴みながら下っていく、10分ぐらいのところにパイプが見えそこからきれいな水がチョロチョロ
出ている。500mmのボトルに入れるのに1.2分かかりそうだ。4.5リットル汲んでザックに入れて上にあがった。
 
 
 
「あれれ」なんだか甘い香りがする、「え まさか」ウイスキーを入れたペットボトルの栓がボケている。
「あちゃあ ワンショットも ないじゃん 山崎だぞ」ザックが、「ごち」と言っている、「あちゃあ くそお」である。
 
 
 
 
 
 
高速代をケチって、地道を走っていて発見。朝倉家遺跡:1573年織田信長の焼き討ちにあうまで、
朝倉家は五代、およそ100年栄えた。今その発掘がされ、城、城下街が出てきている。同じく、白山平泉神社:
元は白山平泉寺:ここの遺跡も何年か前に見ておおいに感激した。1574年に一向一揆との戦いに
敗れ全山が焼きうちにあった。ここも同じように発掘され、伽藍の跡が復元しつつある。
 
 
 
 40リットルザックを二つ持ってきたので、ひとつをデポ用に、シラフ、コンロ・ボンベ、食料、水などを詰めた。
今日の行動はパンと水、雨具とダウン、まだ暗い中ヘッドランプを頼りに出発した。熊よけ鈴も盛んに鳴っている。
 
 
 
 右の方、東の空からオレンジ色の太陽が丸くある。「ごらいこう? どこがありがたい」
なんて悪態をつきながらチラリ見た。暑くなってきて、ダウンを脱ぎ水を飲んだ。パンをひとつ喰った。
 
 
 「明日、ここに泊まらず 降りるか・・」「朝4時半に出発 行けるところまで、2時頃にここに 
戻って 重い荷を背負って 降りる 10時間行動になるやも」「明日は 車中泊もアリか」
「ここで もう 一泊は やだねえ」なんて思いながら寝付いた。
 
 
 
 
 
別山 すぐそこに見えるが なかなか近づけない 進めば進むほど 遠ざかるじゃないか 
 
 
この登山道は1800Mぐらいの標高の尾根道が、ポコリンポコリン上がったり下ったり、一本二本と進むうちに、
「おお 今日は 調子がいいぞお」とゆっくり進む。午前中は晴れる予定だったが、雲が多い、ほとんどの
白い雲の中に青空がチラリ覗く。「稜線歩き 悠々漫歩 尾根道歩きはいいねえ まわりがまる見え
 暑くもない 寒くもない でっかい山々にオレひとり」「風がいい 光がいい 空気が美味い」
 
 
 
 
 
 
青空もあったが ほとんどが曇り空 降られないだけ ましだ 
 
 
 オレの目の前を小鳥がビュンビュン横切っていく。小鳥の群れが御岳方面に向かって横切っていく。
ちっさい鳥のスピードはすごい。あれれ、別の群れはヒヨドリぐらいの大きさ、これも、ビュンビュンである。
 
 
 
 
 
 
 
 
無理して やぶこぎ 奇怪な 樹達に近づき パチリである 
 
 
 
 
 
 「よし 夕方までに 車に 帰り着けばいい ゆっくり登ろう」そう決めて、ゆっくり歩いた。
ゆっくりのおかげで疲れてこない、まだまだいける、一歩一歩エンヤコラである。
ジジイになると、大きい山はゆっくりだねえ、ゆっくりだと疲れ知らず足が動く。
 
 
 
 
 
先程、盛り上がったところ、すってんころりん、見事に上向きひっくり返った。
窪みに嵌まり足を振り回した、「起き上がれない」と笑ってしまった。
 
 
 
 
 
 
 車にたどり着き、汗で濡れはものを脱ぎ、タオルで身体を拭いた。乾いた服を出し着替えた。
湯を沸かしインスタントコーヒーを飲み、パンを齧った。来た時の道をそのまま帰ることにした。
またもや朝倉遺跡によった。帰り着いたのは夜の9時頃だった。ビールと目刺しで乾杯である。
 
 
おひけえなすって ジジイ で やんす