北小松 2024年5月15日 |
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ソロでいつもの定点コース、北小松駅から釈迦岳を通って比良駅までと歩き出した。いつもより1時間早い 電車に乗り、駅のポストに登山届、トイレ、靴の紐を締め、8:20北小松駅を出発した。 |
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曇っている、予報では午後からくもりとなっていた、降らなきゃいいが。 |
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ひとりで歩くと鳥の声に敏感になる。フクローの重低音、「ほ〜ほ〜」キツツキの機関銃、 登山道をずっとイノシシめが掘り起こしている、シカの糞は少ない。 |
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絵の話:久しぶりに新しいキャンバスに描いている、描き始めて3回目ぐらい、「お いいじゃん」 これまた久しぶりのうれしい感覚、山から帰って立て掛けてみてもよかった。「ジジイになって 感覚が悪くなったか」と悲観していたが、「まだ大丈夫 あっさりでいい グッドセンスで」である。 |
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11:05ヤケオ山に到着。ここと蛇谷ヶ岳の間、黒谷の水田が光って見える。朱色のツツジが幾本か、 イワカガミの花がいくつか、今日はここまでぐんぐん登ってきた、もうワンピッチもない、見晴らしのいい尾根道だ。 |
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向こう側の真下は 琵琶湖 |
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5月ともなると緑が茂る、景色が変わる、今までいろんなところがまる見えだったのに、緑に邪魔をされ見えない。 てっぺんに着く時も、「あれれ もう一つ先かな」と思うぐらいに景色が変わる。 |
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昨日電話が鳴った。「岡村です」「仲野です」「えええ 生きてた・・?」サンフランシスコのバークレー にいる旧友の仲野雄三さんからである。5年も前に、「帰るけど 泊めてくれ もう 寝るところがなくなったから」 という電話を最後に連絡が途絶えた。4歳年上、しかも火事で肺をやられたとか、てっきり亡くなったと思っていた。 しゃべり始めは訥弁でおぼつかなく、「こらあ 相当 きているなあ」と思った。 |
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11:40釈迦を通過、ここの平らな部分も緑がいっぱいで見通しが効かない、「ちょっと下ったところで 昼飯」 と歩き、ワンゲル道とリフト道、分岐の標識を右:リフト道に行った平らなところでザックを下ろした。 |
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今日はご飯がなかったので、おにぎりを二つ買い卵焼きと野菜炒めをパックに入れてきた。おにぎりを喰い、 おかずを食べ満腹である。水はスポーツ飲料1L、コーラ500CC、お茶500CC、計2L持ってきたが涼しいのか 余りぎみだ。いつも夏近くなって大汗をかきへ〜へ〜は〜は〜の時は2Lでは足らず、湧水や流れの水を飲んでいる。 |
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釈迦からの下りは南斜面、上の方には、中ぐらいのでかいブナががんばっている、よじれたねじれたその形が素晴らしい。 |
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大きな樹の根っこが石を抱いているというが、百年二百年前に車一台分ぐらいの大きさの石の上に 種が落ちてそのまま育ち、とそんなことを想像する風景だ。そんな昔も服装こそ違えたくさんの人が 山の中に入って、歩いて、弁当を食っていた、今も昔も変わらない。 |
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2時少し前に昔のリフト駅に下り立った、無事下山した。いつもは喉が渇いてそこにある湧水を飲むが、 今日はまだ余裕でザックにいくらか残っている。腰を下ろせる石を見つけ、汗で濡れたシャツを脱ぎ 乾いたものに着替えた。パンと水筒を出しぼそぼそ喰った。 |
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アトリエ定点風景 |