九州 2025年5月22日〜28日  
 
 
この地図が あっているやら 怪しい 土地勘の悪い オレである 

九州旅行:22日の夜の船便で23日の朝に別府港に到着。23日は平治岳に登り阿蘇くじゅう高原ユースホステル
(熊本県阿蘇郡南小国町満願寺)で寝る。24日は雨の中、阿蘇の烏帽子岳に登り次に、中岳に向かうも入山禁止、
N邸(宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡)で寝る。25日は雨の中を久住山に登りN邸で寝る。26日は祖母山に登り
N邸で寝る。27日は猟師山に登り別府港から夜の船で帰阪。28日の朝9時前に帰宅。5日間で5座の山旅でした。

 
 
23日 男池登山口より 平治岳 
 
 
24日 雨 阿蘇 Pよりぐるり 烏帽子岳 そのあと 阿蘇火口に向かったが 入山禁止 
 
 
 25日 雨 牧ノ戸峠から 久住山
 
 
26日 祖母山 反時計回り 
 
 
 27日 快晴 猟師山
 
 
 221900別府行きのフェリー:サンフラワーに乗っている。スクリューが回っている感じで船が
グラッと揺れ出港したようだ。「お風呂に入って ビールにしましょう」
 
 23日 平治岳
 
 別府港からバスでJR別府駅まで行き、そこで、ガッツレンタカー(石松の名前)で
スズキの軽自動車を借り荷物を積み込みスタートした。男池登山口駐車場まで車を走らせた。
 
 
 驚いたのは湧水がすぐに川になる場所がそばにある、すくって飲んだ美味い。
「このきれいな川 上高地でも 見たぞ」水のきれいさ豊富さ、これはすごいと拍手である。
 
 
 
 
 
 1100ソババッケ1100Mに到着。蕎麦を栽培していた場所らしくグラウンドぐらいの大きさの広場がある。
 
 
 登山口の近くに湧水がそのまま川になっているところがあり、そこのひしゃくで水を
掬って飲みペットボトル3本にも注入、「めっちゃうまい ほんまにキレイ まったくの トーメー」である。
 
 
 ここで道間違えた こんなでっかい標識があるのに 風穴・黒岳に向かってしまった
出発する時に地図を確認しなかったので道を間違うことになる。広場ゆえに三叉路を気付かなかった、
立派な標識がるのに踏み跡をまっすぐ進んでしまった。
 
 
 
 
 
 水はなんといっても美味い  温泉もいくつもある  汗を落とすために  さっさと入って出た 
 炭酸泉:ラムネ泉は時間の都合で入らなかった
 
 
 
 
 
 破線の道、スマホの地図、紙の地図、リボンの標識、1時間半ほどのロスながら来るべき道に合流できた。
「あ 花」紫がかったピンクの花、「お これだね 目的の花 ミヤマキリシマ」道の横に一本の木、
ミヤマキリシマが咲いていた。この花は初めて見た、少し小ぶりなツツジだと思った。
少し進むともう一本あった、そして右の方に目的の高み“平治岳”が見えその斜面にたくさんの
ミヤマキリシマが咲いていた。まだ三部から五部咲きだそうだが、壮観な花の斜面である。
 
 24日 阿蘇
 
 阿蘇くじゅう国立公園:山に登って見回すと広大な草原が広がっている、この景色は日本の他の地方では見られない。
それは古代から3月ごろに野焼きをすることで保たれているそうだ。奈良の若草山の山焼きは知っているが、
規模がその何倍もの面積の野焼きが行われている。想像するだけでケムイが壮観だろうね。この野焼き、
縄文時代から続いているとも、とにかく自然に、空気に、いいことがあるのだろう。
 
 
 古坊中(ふるぼちゅう)と看板がある。奈良時代から戦国時代までここは一大霊場、修験場で3628庵の
建物があったそうだ。戦国時代、島津と大友の戦いに巻き込まれ僧侶や山伏たちが四散したらしい。
 
 25日 久住山
 
 雨風で よたる オレ  雨が降る登山口の牧ノ戸峠1333Mで車を止めた。雨なのにたくさんの登山客が来ている。
「ザザ降りになれば 撤退かもね」と笑いながら9時に歩き始めた。
 
 
 久住山の上では雨に打たれ風が吹き手袋が欲しい寒さだった。帰途に風呂を探し入った。趣のある風呂の建物、
太い柱に梁の木造建築、床には大きな檜の湯舟が二つ並ぶ、ぬるいと熱いと書いてある。
ぬるいに入るとぬるすぎる、冷えた身体にはこれはダメと熱い方に入ろうとしたが熱い、手を入れたが、
「こらあ はいれん」というほど熱いがじわりじわり身体を沈めた。あとで聞くと46度だそうで1分ほどで
手がしびれてきた。「江戸っ子ダイ がまん ええい がまん」なんて言いながら楽しんだ。
 
 
 久住山避難小屋で休憩をとった。中は人だらけ、小さい小屋に20人ぐらいは居たろうか座っている立っている、
雨具姿の若者が、韓国、台湾、中国、欧米、混ざりあってしばしの休憩である。
 
 
 五ヶ瀬温泉木地屋という旅館の風呂に入った。風呂は明日にランの大会があるとかでスポーツ青年で
満員であった。皆が出てくるのを待っていて、石碑を見ると山頭火の句がある。

 ★ 分け入っても 分け入っても 青い山

 句は九州の山を歩いていて詠んだものらしい。今と違い道路は未舗装の狭いデコボコ道、
 そこに拡がる草原を想像した。黒い僧衣に編み笠、首から袋をぶら下げ、まるメガネ・・。

 ★春の海 ひねもす のたり のたりかな

★今日も 事なし 凩に 酒 量るのみ

 
 
 
 26日 祖母山
 
 
 
 
 しばらく行くと激流に丸太の橋が架かっている。「上から丸太を4本伐って ここまで運び 架け 
ロープで縛り 上面に角材を置き 滑り止め」「うわわ こらあ すごい作業」渡らせてもらいながら、
「山の自然 雨風があり 崩れ流れ また修繕」頭が下がる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 お世話になったNさん:ホンジュラスに在住、何か月か生まれ故郷の九州に来られる。
ひとりで楽しく暮らしている。最近は河をせき止め石ころでダムを造っている、持てないようなでかい石も
積む・・、地主に感謝される。「高さが6M 幅が20Mぐらいのモノを 1年足らずで造れるかな」すごいスケール、
石を積んで行く、想像もつかないが規模だけれど、楽しい作業だとおっしゃる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「ここの階段も 修繕した 登山道 階段を造ることで 水の流れを穏やかにして 土砂の流れをおさえる」
「おお なるほど」である。石にはしごに木の根っこ、そんなものを掴みながら登っていく。
 
 
 
 
 
 祖母山てっぺんには 石の祠 三つもあった こらあ重そう 担ぎ上げたんだねえ
 
 
 オレの左右の両Nさんはベテランのガイド、登山道を修理、整備、草刈等をされている方々である。
車中で日本の山登りの入山料、特に外国人への支払いの話が出た。外国では3000円とか5000円ぐらいの
入山料が普通だというところもあるらしい。日本は自由発言の国、「そんな区別はいけない」「国土は 
誰のモノでもない」というような意見で否定されることが多い。信州も九州も山の中には外国人がわんさかいる。
登山口にトイレがあり、両Nさんが、「汚れている」と二人で掃除を始めた。
 
 
 
 
 
 破線道を降りだした。「おっとと ここを落ちたら やばいね」というところを進みどんどん下った。
ガイドがなければ進めない山の中、サバイバルゲームが30ほど続いた。
 
27日 猟師山 
 
 
 
 
 「なら 明日は また 4人で 猟師山に登って 我々はそのあと草刈りをする」「我々は 別府駅まで行き 
レンタカーを返し バスで港まで行く」そう決めてビールに日本酒にと飲みだした。
KNさんの奥さん仕込みの煮っころがしを出してくれた。「Aちゃんの味だ 昭和だねえ 美味いねえ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 ここの草も刈ったよ ミヤマキリシマはまだ5部咲きだそうだ。
 
 
 
 
 
 「さあ どこかで 食事 そのあと ユースへ」「蕎麦の店がある」まずは蕎麦屋に向かった。
どこをどう走ったのか、これまた趣のある鄙びた木造の家が細い橋を渡ったところにある。
屋根に石コロが乗っている、「え 大丈夫かな」と心配したが、中はなかなかの木造建築、
二面が障子窓ながら紙ではなく透明ガラスがはめ込まれ横の川まわりの樹々が飛び込んでくる。
オレはザルをたのんだ。大盛もあるが、以前、腹は減ったたくさん食べたいと大盛りをたのんで、
「こらあ 蕎麦ばかり たくさんあっても 美味くない」という経験からである。
出てきたものはまちまちの太さ、「あれれ きれいじゃないね」と思ったがひと口含むと美味い。
蕎麦通ではないが、もちもちした蕎麦を汁につけて楽しんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 帰る前にユースに寄った Nさんは草刈り機を始動 我々は 夜の船 港に向かった
 
 
アトリエ定点風景 旅から帰り 絵に色を入れた まもなく完成だ いいじゃないか